2001年01月21日

さまざまなこと 思い出す 桜かな

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(創立百周年記念誌)

校門に入るとすぐ木造の校舎があり、
その校舎を抜けたところに大きな桜の木があって、
満開の花が新入生を迎えてくれました。

西校舎の凹地に晴明丘地域を象徴するように
数奇屋風の立派な茶室があり、
時が来ると前庭の地にあやめの花が美しく咲いて
古好の風情を楽しませてくれました。

これは去る20年前、私が校長をしていたころの情景です。
児童数1800余名、教職員数は六十数名という大規模校でした。
それでもP・T・Aが一丸となって明るく和やかな校風をつくり、
子ども一人一人の幸せを求めて真剣な教育への取り組みがなされていました。

21世紀を目指しての国の教育は「生きる力」を育てることを目標にしています。

創立百周年を向かえ、晴明丘教育が「生きる力」を育み、
たくましく新世紀へ飛躍していける子どもたちを育成する
学校としてますます発展されることを念願いたします。

(晴明丘小学校創立百周年記念事業委員会 広報誌より)


関 岡 猪 蔵
(第14代校長:昭和49〜51年)

posted by en at 00:00| 資料

2001年01月20日

西運動場のはなし

1951年(昭和26)の頃、現在の西運動場の土地が売却されるということで、校舎不足に悩んでいた小学校としては、なんとしても学校用地にしなければと、団地建設を計画していた大阪府や知事に対し、PTAが中心となり、何回も陳情をおこないました。
 
遂に1953年(昭和28)、団地予定地を他の土地と交換することになり、本校の校地となりました。

また、1954年(昭和29)には、大阪でははじめてといわれているプールが完成します。
この時も造成費用の捻出など、PTAの皆さんの活躍により自力で造ることができました。

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1956年(昭和31)、修養室として「晴樟館」が寄贈されました。庭園の中の茶室は、とても風情があったそうです。

晴明丘小学校の校地が現在の面積になったのは、1961年(昭和36)で

1980年{昭和55)、その晴樟館のあと地に、80周年記念事業として「フィールドアスレチック」や「木かげの広場」をつくりました。
木の丸太やロープを使った10ヶ所の固定遊具があり、楽しく遊びながら体力作りができ、子どもたちの完成が響きわたっていました。

posted by en at 00:00| あゆみ